映画『ママをやめてもいいですか!?』と『逃げ恥スペシャル』に感じた育児参加の違和感。日本の男性が子育てに主体性を持たない理由。
いやー、今年の正月は、本当にヒマです。
映像作品ばっかり見てて、今日はついに「愛の不時着」デビューもしました。1話でおなかっいっぱいになりました。
夜、『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャルを嫁が見ていたので、一緒に見ました。
話題作の『ママをやめてもいいですか!?』をyoutubeで、冒頭部分を見てみました。(1月3日まで無料公開中)
たまたま続けて見たどちらの作品もテーマは「育児」。
男性の育児参加もテーマになってるんですが、(逃げ恥はそれがメイン)
どうも違和感がある。
男性育児参加
例えば、逃げ恥でいえば、妊娠発覚時に
星野源が「なんでもサポートするよ」に対して、
新垣さんが「どうしてサポートなんですか? 一緒に親になるんじゃないんですか?」
という場面があって、そこには共感なんだけど、その後の展開が
コロナがあって、新垣さんは赤ちゃん連れて実家に帰るんですけど、自分はもう仕事復帰しない前提で、星野源が単身住んで仕事がんばる!なんすよね。
現実的にはそうなんだけど、冒頭で男性の育児への主体性の低さをテーマにしてたので、結局妻がやるんじゃんとして見てしまう。 夫婦で「どうする?どっちが面倒見る?」みたいなやりとりを入れてほしかった。(見逃していたらごめんなさい)
で、同じようなことが、映画「ママをやめてもいいですか?」の冒頭に描かれていて、こっちらアニメにして解説してたので、ちょっと映像から拝借。キャプションはナレーションがいっていたようなこと。(記憶の範囲なので正確ではない)
は? 何言ってんの?
おいおい、パパ・祖父母・行政さんらよ。
なんでママにミルク(愛情)注いで経由させてんだよ。
子どもに直接注げよ。
っていう話だと思うんです。
結局、母親が管理者になってすべてそこを経由させようとするから、
男性は主体的にならないし、社会が子育てに参加できない。(この図と一般論の話です)
子どもにとっても母親がベストチョイスかもしれないよ。
でも、それじゃあ負担感大きすぎるよ、孤立化していくよ。っていう話なのに、なんでそういう図式になるかなぁ。
子ども泣くかもだけど、父親や祖父母でいいじゃん、母親の思い通りにならないかもだけど、母親通さずに子どもにダイレクトに働きかけましょうよ。
結局、子どもは母親の管理下にあるもので、父親含め、周りの人がサポートするっていう図式になっちゃってるんですよね。
育児しない父親よりは、イクメンの方が十倍いい!(ママはイライラするかもだけど。)
でも、令和は、父親が育児参加でなく、ちゃんと育児分担できる社会になりますように。
そのためには、今日あげた無意識の図式を変えてほしいと願っておりあす。
関係ないのですが、この2作品の間には、NHKでやってた「ララランド」の終盤を挟んでいます。
ああ、何度見ても名作! ラストの流れ、ゴズリンはどう思ってるかを知りたいなぁ。
あと逃げ恥の前には、愛の不時着見てました。1話見ておなかいっぱいになりました。笑